応用微生物学が秘める可能性

京都大学名誉教授、(株)グリーンバイオ代表取締役 木村 光 氏 × 甲斐 真佐美

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京都大学名誉教授、(株)グリーンバイオ代表取締役 木村 光 氏 × 甲斐 真佐美京都大学名誉教授、(株)グリーンバイオ代表取締役 木村 光 氏 × 甲斐 真佐美対談 応用微生物学が秘める可能性

日本人農学博士が長寿遺伝子発見に関与! 微生物学の枠を超え、貢献が期待

高齢化社会が加速する現代において進化が迫られるアンチエイジング医学。なかでも昨今トレンドとなっている“長寿遺伝子”分野で、今、最も注目を集める研究者が、世界で初めて長寿遺伝子、Sir-2を発見した「老化メカニズム」研究の第一人者、マサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガレンテ教授だ。ところで、ガレンテ教授の輝かしい発見には、日本人農学者の研究実積が一翼を担っていた。応用微生物学の博士、木村光氏(京都大学名誉教授、(株)グリーンバイオ代表取締役)による「酵母S.cerevisiaeの形質転換法」(1983)だ。この研究をまとめた論文は、アメリカ微生物学会刊行誌の論文中で20世紀中の被引用数が歴代2位という優れた実績を持ち、過去100年の引用情報を有する学術文献データベース、Web of Science® Core Collectionでも被引用数6,501回(2011年9月時)と突出して高い。さらに、30年近く経過した今でも、毎年100回程のペースで引用され続け、超高齢化社会に突入する人類に必須の長寿遺伝子、ガン抑制遺伝子(p53)の研究、菌学、免疫学など農学の枠を超えた他分野でも盛んに活用されている。そんな、次世代に繋がる多大な貢献を果たした木村先生に同研究の話とともに現研究界への提言を聞いた。

2011年11月3日 木村氏が瑞宝中綬章を受章されました。
おめでとうございます。

—微生物学の権威である木村先生とトムソン・ロイターとの出会いは、昨年、先生から、論文の被引用数についてのお問い合わせを頂いたことがきっかけでした。先生が、被引用数に興味をもたれたきっかけは、どのようなことだったのでしょうか?

木村氏…きっかけとなったのは、1999年の事です。アメリカ微生物学会は流石に創立が古く、1999年は、学会の創立100周年に当たる年でした。アメリカ微生物学会は記念事業として論文の被引用数の順位を発表したのですが、その時、遺伝子組み換えを初めておこなったことで有名なスタンレー・コーエン教授らの論文を抜いて、私共の「酵母の形質転換法」が第2位になったのです。私はもちろん、周囲も大変驚きました。その後、2000年に定年になりましたが、時々、京都大学の図書館でこの論文の被引用数を調べてもらっていました。すると、アメリカ微生物学会が発表した当時は、3,450回ぐらいだったものが、4,000、5,000、6,000回と増え続けているのです。私がトムソン・ロイターさんの事を聞いたのは、京都大学の図書館の方からで、御社が統計学の方面から専門的に論文の調査をしておられるから、連絡してはどうかと云われた訳です。

そんな事から、被引用数に興味を持ち、調べたところ、ガーフィールド博士の論文に出会いました。博士の統計では、発表される論文の90%は10回以下の被引用数で数年内に消えていく。残りの10%は何度も引用されていくが500回引用されるものは殆どない(0.01%)との事でした。

「酵母の形質転換法」の仕事は、1982年6月に京都で遺伝子組み換えの国際会議を開催したときに発表し、翌年論文にしたのですが、この国際会議に出席したアメリカの研究者たちが、毎年夏に行われるコールドスプリングハーバーの酵母講習会で私共の論文を教材に使ってくれたらしいのです。その結果、その年の内に私共の手法がアメリカで広がりました。翌年日本にも逆輸入されて使われるようになり、同時にヨーロッパにも広がっていきました。お蔭で、当時の東ヨーロッパやキューバなど、普通には行けない国々からも随分と講演を頼まれました。こんな事から何となくこの論文の被引用数は多くなるのではないかという感じはあったのですが、まさか今日のような結果に繋がるとは思いもよりませんでした。

丁度その頃から、研究の世界でも税金の使い方が問題として取り上げられ始め、研究成果が如何に社会に還元されているかということが問われる様になりました。同時に、研究内容に対する客観的評価についても論じられるようになり、そういった中で、一つの大きな客観的基準として、被引用数が取り上げられるようになったのです。被引用数というのは、後続の科学者たちがこの論文を何回引用しているかという数字ですから、非常に客観的に数値で出てくる訳です。ですから、最近では、研究者の評価の一つとして、被引用数が要求されることも多くなっていると聞きます。

—先生が1983年に発表された、酵母の遺伝子を生きた酵母細胞に導入する方法に関する論文は、本日現在6,501回引用されており、現在でも引き続き毎年100回前後引用されています。これは客観的に見て、非常に影響度の高い論文だと言えますが、この酵母の研究を始めたきっかけを教えていただけますか?

"TRANSFORMATION OF INTACT YEAST-CELLS TREATED WITH ALKALI CATIONS" の被引用数の推移

「TRANSFORMATION OF INTACT YEAST-CELLS TREATED WITH ALKALI CATIONS」の被引用数の推移

トムソン・ロイター Web of Science Core Collection(accessed 2011/8/11)

木村氏…私は、パスツールに興味を持って微生物学を専攻したわけですが、具体的には、抗生物質の研究から始めました。この時の命題は「自然界には、まだまだ、有用な夢のような抗生物質があるに違いない」というものでした。

私もこの命題に従って仕事をやりましたが、得られた抗生物質は既に世界のどこかで発見されたものが多い状況でした。いろいろな工夫をし、新しい抗生物質を発見して発表もしましたが、既存の方法に限界を感じたので、あまり他の人のやらないような事をやろうと考えました。例えば、in vitro(試験管内)では効かないが、in vivo(生体内)では有効な成分を追いかけました。しかし、大変労力の要る仕事であったにも関わらず得られた抗生物質は、Valinomycin のような毒性の強い既知物質でした。そんなことから上記の命題に疑問を持つようになり、科学哲学(自然哲学)的な思考法を身に着けることを考えました。

また、抗生物質の研究は、世界中の多くの人々が取り組んでいる分野なので、別の境界領域の研究に挑戦しようと思いました。そこで、当時まだ進んでいなかった脂質領域とペプチド(アミノ酸のいくつかつながったもので、たんぱく質より分子量の小さい物質)の境界領域が面白いのではないかと考えました。その結果、アミノ酸と脂質の結合した新しいリポアミノ酸を見つけることが出来ました。しかしながら、新抗生物質も新脂質もどうも面白くなく、何とかもっと生命の本質と関係する研究が出来ないものかと考えるようになりました。微生物については、放線菌という土壌微生物を扱ってみましたが、これは下等な微生物でヒトとの距離が遠すぎると思いました。そういう点では、酵母は高等な微生物で、ヒトの細胞と同じ、“真核生物”に属しているため、将来、微生物を扱いながら、ヒトの問題に迫るには最適ではないかと思いました。つまり、酵母の増殖の問題をやっていけば、ヒトのがん細胞の増殖問題にも適用できるのではないかと考えたのです。酵母の研究は、パスツール以来の伝統があり、1930年代には、マイヤーホッフ一派が、アルコール発酵の経路を解明し、酵母がアルコールを作るのは、それによって、ATPと呼ばれる生物エネルギーを作るためであることが明らかにされていました。マイヤーホッフは、カント派哲学者であると同時に、20世紀最大の生化学者の一人といわれ、その門下から四人のノーベル賞受賞者が出ています。彼はカント派の哲学者であり、酵母のアルコール発酵と哺乳動物の筋肉の収縮が共通の酵素系を持っていることを見破りました。しかし、ユダヤ人であったために、ヒトラー・ナチスに追われ、研究の最盛期(1938年)にドイツを離れ、アメリカに亡命しました。私は、マイヤーホッフの仕事と生涯に興味を持ち、いろいろ調べてきました。そして、自然科学者は、「自然の理法を会得するために」専門と同時に科学哲学を学ばねばならないと思うようになりました。

結果的に、酵母を選択したことは非常によかったと思っています。特に、このような被引用数の伸びに繋がったのは、酵母を選択したことに関係が深いと考えています。

—なぜ酵母の研究がこのように多くの研究者に活用されているとお考えですか?

木村氏…酵母は単細胞ですが、ヒトと同じ真核細胞で、高等な細胞です。一般に下等な微生物の細胞は、遺伝子DNAが細胞全体に広がっていますが、酵母やヒトの細胞では、遺伝子は核膜で保護されています。ですから、ヒトは酵母のような単細胞が多く集まり(約60兆)、それらが、いろいろな機能を持つように分化していったものとも考えられます。その上、もっとも特徴的なことは、人間の場合は、精子や卵が各々単独で成長・増殖することはなく、両者が受精合体してはじめて生長・増殖していくのですが、酵母は、精子(オス)と卵(メス)に相当する細胞が各々別々に増殖するのです。そして、それらが交配した後、合体細胞の中で、四つの胞子を作り、それらの二つずつが各々親の性質を示すのです。ですから、私共の方法で解析することによって始めて、ある遺伝子がメンデルの法則にしたがって分離することが証明できるのです。また、この手法は遺伝子バンクを作る場合も、変なバイアスがかかることなくいろいろな遺伝子の種類が同じ割合で出現するといわれています。ですから酵母の研究者のみならず、高等動植物の研究者も、ある遺伝子の機能を解析するときに我々の方法を使う人が多いのだと考えられます。

—まさに、そういった広がりについてですが、Web of Science Core Collection では引用情報を正確に収録しているため、先生の論文を引用した6,000件以上の論文がどのような論文であるかが簡単にわかります。分野毎でみると、Biochemistry molecular biology(分子生物学)、Cell Biology(細胞生物学) の他、Genetics(遺伝)、Microbiology(微生物学)、Mycology(菌類)、Oncology(腫瘍学)、Immunology(免疫学)など、幅広い分野で引用されていますね。

木村氏の論文を引用している主題分野

木村氏の論文を引用している分野

トムソン・ロイター Web of Science Core Collection(accessed 2011/9/6)

木村氏…そうですね。微生物学のみならず他分野でも私共の方法がお役に立っているという事実は大変うれしい事です。また、このように自分達の論文が他のどのような分野で過去何年間にわたって引用されているかという事を個人で調べるのは殆ど不可能です。やるとしても大変な時間と労力がかかるので、こういった情報は非常に有り難いものです。

—現在では、インターネットが発達して、Web of Science Core Collection のような、文献検索データベースが研究者にとって、当たり前のように使われていますが、先生が研究をされていたころは、どのようにして、文献を探していらっしゃったのですか?

木村氏…私が現役の頃にはCitation Indexという本が年度ごとに発行されていて、京大図書館で見ることが出来ました。黄色い幅の広い本で、科学研究費の申請などを書くときは、それを利用して自分たちの研究がどれくらい引用されているかを調べていました。

—そうなのですね。実は、Citation Indexもトムソン・ロイターが発行していたもので、Web of Science Core Collection は、そのウェブ版なのです。より素早く、正確にデータを導きだせるようになりました。ところで、研究者としての人生を振り返り、常にどのようなことを考えながら、研究を続けられたのか、お話いただけますか?

木村氏…私は最初に抗生物質の研究から入ったとお伝えしましたが、それは土壌から微生物を分離し、よく効く抗生物質を作っていないかどうかを調べ、作っている場合にはその物質を単離して性質を調べていくという作業でした。抗生物質という領域は抗菌性があるというだけが共通で、物質としては多彩なものが含まれています。また、土壌の中には多くの種類の微生物がいますが、抗生物質を出すものは放線菌といわれる下等な微生物が多く、この放線菌にもいろいろな種類があるため、それらの組み合わせは言わば無限です。ですから、目の前で取り扱っているものだけに目を奪われていると、気をつけないと学問的な蓄積にならないわけです。何年かした後、あれもやりました、これもやりましたでは、単なる例を積み重ねただけで、まとまりがつかないと気が付きました。私は、研究を深め、発展させていくためには、ストーリー性が不可欠だと考えてきました。即ち、序破転結を考えないといけないと思ったのです。

木村光氏

これは、「序破急」と「起承転結」から作った私の造語ですが、研究を何かのきっかけから始め(起)、それまで知られていなかった「現象なり、物質なり」を見つけ(破)、それを受けて研究を展開し(転)、結論を出していく(結)ことが必要ではないかと考えてきたのです。振り返ってみると、今回取り上げて頂いている「酵母の形質転換法」は、新しい方法論を開発したという意味で、(破)に相当するのではないかと思います。

当時、酵母を材料にCDP-コリン発酵の研究を始めていましたが酵母の育種には旧来の変異と選択に頼っていました。それに対し、遺伝子を組み換えるという手法が大腸菌で開発されたので、私共は、酵母の形質転換法を考案したのです。その手法を用い、「解糖系メチルグリオキサール経路」の機能解析と細胞内での役割を解き明かしました。解糖系主経路が従来から知られていたように生物エネルギー(ATP)を生産する経路であるのに対し、このメチルグリオキサール経路は細胞の増殖や各種のストレス耐性を与える経路であることを明らかにしたのです。これら一連の研究を先ほどの序破転結にあわせて考えてみますと……。

(序)

(1)真核細胞として酵母を取り上げたこと(放線菌から酵母へ)
(2)乾燥酵母から生きた酵母を扱うように切り替えたこと(Triton X-100 の開発)

(破)

(3)「酵母の形質転換法」の開発

(転)

(4)生体内での毒性物質メチルグリオキサール(MG)の生成意義の解明
(5)解毒物質グルタチオンの合成酵素2種(GSH-I, II)の遺伝子取得と機構解明
(6)メチルグリオキサールをグルタチオンで解毒する酵素グリオキサラーゼ I の研究
(7)グリオキサラーゼ I が各種ストレス(金属、塩、酸素、過酸化水素)の耐性化に関与していることの証明

(結)

(8)従来知られていた、解糖系エネルギー(ATP)生成経路に対して、メチルグリオキサール経路(MG経路)の機能解明を進め、この経路が細胞の増殖やストレス耐性に関与していることを明らかにしました。そして、これを“解糖系メチルグリオキサール経路”と命名し、1992年にロンドンの国際会議で発表しました。

それにしても、当時の自分は寝ても覚めても仕事のことを考えていましたので、いろいろな事が同時並行的に重なって、うまく進行した様に思われます。いつも若い研究者に「何か新しい物質とか新しい現象を見つけなさい。後はそれについて研究をすれば、誰もやらないことがやっていける」と言ってきました。私自身、これをモットーに、新しい脂質「リポアミノ酸」や新しい抗生物質(マッチャマイシン)を見つけました。また、抗生物質生産菌を長時間保置しておくだけで抗生物質の量が増加し、それに糖を加えて細胞を増殖させると抗生物質の増加が止まる現象も見つけました。

そんな経験が、細胞の増殖と物質の生産などに興味を持った始まりかもしれません。それにしても、この時期は研究の進め方について随分と考えたように思います。科学の方法論は勿論、科学史、科学哲学的な考え方、自然との接し方も勉強しました。当時は、「微生物に不可能なし」といわれていましたが、実際は、「やってみなければ分からない」ことが多かったのです。これに対し、科学史を勉強すると、科学実験というものは仮説を立て、それを証明するために行うものではないかという疑問が湧いてわいてきました。ニュートンの万有引力によって天上と地上が同じ法則で説明できることが分かり、その計算から、当時の太陽系の一番外周にもう一つ星が存在するはずだという仮説が提唱され、実際に冥王星が発見された話などには感激しました。まあ、今から考えれば、これなどは最も単純な物理法則で、それによりロケットが打ち上げられ、人工衛星が回収さるわけですから。他方、科学万能といわれる現代ですが、どんなに科学が進歩しても、二階から落とす紙の落下点は絶対に予測できないなど、科学的な方法論には得意な面と不得意な面があることも分かりました。

安全性の問題などは、科学の最も不得意とする問題です。今年は原子炉の事故が起こり、半年経った現在も問題が山積状況で、「想定外」などという曖昧な言葉が横行しています。食品や交通などあらゆる事故の安全性については、以前に考えたことがあり、拙著『バイオテクノロジーの拓く世界』(NHKライブラリー)に書きましたが、安全性に、100%はない事をわきまえず、日本人の多くは、全てに情緒的にやっているように思われます。放射能被害の問題も熱力学の第二法則(エントロピー増大の法則)を考えれば、被害の広がることは、絶対に避けるべきです。可逆的な反応は駄目なら元へ戻せばいいのですが、不可逆な反応は絶対にしてはいけない事で、やるなら慎重の上にも慎重を期す必要があります。早い話が、例えば、砂糖でもクリープでも一度コーヒに混ぜてしまうと二度と分離することは出来ません。原子力の問題は、まず、最終処理問題の解決に全力を尽すべきで、このような事は国際的に通用する科学的根拠に基づいてしっかりやらないと汚染は日本中に広がり、更に世界に広がっていくでしょう。これらの状況を見ていると、日本には、安全性に対する哲学がないことを痛感します。
日本の科学研究は、明治以来、近代化を急ぐあまり、科学的な思想を重視せず、技術的な面のみを取り入れることに専念してきました。それに対する反省として、私は科学哲学に興味を持ってそれを取り入れたいと考えてやってきました。そういう意味をこめて、“思惟の流れ”という言葉を使いたいわけです。決して目の前の利益に翻弄されることなく、100年あるいはそれ以上の未来を見据えて行動しなければなりません。

酵母研究の相互関連図

画像

ここで、私の研究人生で最も大きな仕事となった「酵母の形質転換法」の開発の話をさせて頂きます。当時の欧米の微生物領域は、抗生物質一色でしたが、日本では、伝統的な食品である昆布、鰹節、椎茸の味を求めて、アミノ酸・核酸工業が独特の発展を遂げていました。まず、昆布の味が、アミノ酸(グルタミン酸ナトリウム)に基づくものであることが明らかになったので、他の味についてもその本体の追求がなされた結果、核酸系の物質であることが分かりました。つまり、鰹節にはイノシン酸、椎茸にはグアニル酸が多量に含まれていることが分かったのです。物質の本体が分かれば、それらを別の方法で調製すればいいわけです。そこで、核酸(RNA)を多く含む酵母を育種し、そこからRNAを抽出。それを分解して味の本体を取り出すわけです。RNAは分解すると4種類の核酸分解物(AMP,GMP,UMP,CMP)が得られます。そのうち、AMPから鰹節の味、GMPから椎茸の味が得られたのですが、副製する残りのUMPとCMPは化学調味料としての利用価値がなかったので、その他の利用法を考える事になりました。UMPは各種の糖ヌクレオチドに変換され、試薬などに利用する研究がなされましたが、CMPは誰も研究する人がありませんでした。そこで私はこれを取り上げ、CDP-コリンという脳障害治療薬に微生物変換することに取り組みました。このときの微生物としては、酵母を用いることにしました。酵母は、エジプト時代から、人類が利用してきた微生物で長年発酵食品に利用されてきて、安全であり、その活性の強いことも分かっていました。特にパスツールやマイヤーホッフらによって、その存在と機能が明らかにされてきた伝統的な微生物です。早速やってみますと、CMPからCDP-コリンへの変換が可能なことが分かりました。問題は、その当時の研究者はみんな、伝統的な乾燥酵母を使っていたことです。乾燥酵母は、DNAの合成能を測ってみますとほとんどなく、生きていないことが分かりました。細胞は生きていなくても、中の酵素系が生きていれば、いわば酵母細胞を酵素の袋のような意味で使う事は可能です。しかし私は、酵母が生物として生きていてこそ、物質のエネルギー代謝を行い、いろいろな機能を発揮したり、制御したりできるわけで、死んだ酵母では研究の将来性がないと思いました。これは何でもない事のようですが、問題の捉え方の決定的な分技点だった様に思います。科学者は常にパラダイム変換を意識することが重要で、それなくしては新しい展望は拓けないと思います。

「酵母の形質転換法」の開発にしても、それでこそ可能になったわけで、死んだ細胞では、いくらやっても駄目だったでしょう。酵母は単細胞で、顕微鏡で見ても一個の細胞に過ぎないのですが、この細胞の質は、“真核細胞”といって、他の下等な微生物(前核細胞という)と全く違います。別の表現をすれば、人間は、60兆個の酵母細胞の集合体といえるわけです。ですから、酵母細胞で研究した成果は、何らかの意味で、きっと、高等動植物細胞にも適応可能だと思っていました。つまり、酵母の増殖機構を調べていけば、高等動物細胞のがん化(細胞の無限増殖)につながるのではないかと考えていました。このことは、私どもの論文が、細胞生物学の研究に広く使われていることからも分かります。

最近、関心が高い“長寿遺伝子”の研究が酵母を使ってなされたと聞いた時、これは私どもの方法が使われているのではないかと思いましたが、自分で手紙を出して聞く訳にも行かず、まして、自分の論文が誰に使われているかというような事は、なかなか知ることが出来ないと思っていました。ところが御社のWeb of Science Core Collection では、一目瞭然、どの大学のなんと云う研究者が何回引用しているかということまで教えて頂けたので大変助かりました。もし私が現役だったなら、面白そうな方面への展開分野があれば、こちらから研究者に連絡を取って、共同研究の話などを持ちかけたかもしれません。

—Web of Science Core Collection をそういった技術革新に役立てていただけたら大変嬉しいです。ところで、先生の被引用数の資料とともに、こちらの特許関係の資料もお持ちしました。

木村氏…この「イノベーションへのインパクト…」と記された地図のような資料はなんですか?

イノベーションへのインパクト - 多様な用途特許への引用

Innovationへのインパクト-多様な用途特許

引用特許データベースDPCIの抄録をThomson Innovation®のThemescape® Mapで分析(Accessed 2011/9/6)

—こちらはThemescape®(テーマスケープ)といって、個々の文献に含まれる共通の単語から出願分野の集中度や関連性を俯瞰図として分かりやすく表現してくれる分析ツールで先生の論文を引用している特許について分析したものです。先生の場合、遺伝子工学分野の単語の頻度が高いという結果になっていますね。

木村氏…面白い。これを見れば、私共の研究がどういう分野に波及し、なかでも特にどの分野で活発に引用されているか、といったことまで一目瞭然ですね。こちらの棒グラフは?

—こちらでは先生の特許を引用し、出された特許の数や団体名(企業&大学)が分かります。例えば、先生の特許ファミリーは全部で101件ありますが、アメリカやWO、EUなどへの引用が多いですね。ちなみに、WOというのは、特許協力条約(PCT : Patent Cooperation Treaty)に基づく国際出願のことです。ひとつの出願願書を条約に従って提出することによって、PCT加盟国であるすべての国に同時に出願したことと同じ効果を与える出願制度です。こうしてみると、先生の研究は特に海外への影響が強いということ、また、遺伝子工学のいろいろな分野で特許を出されていることが分かりますね。もちろん、さらに分析をしていけば、出願人がどのような特許を出しているかということまで調べられます。

Innovationへのインパクト - 海外の出願人から注目

Innovationへのインパクト-海外の出願人から注目

(Accessed 2011/9/6)

木村氏…なるほど。インパクトを与えている地域や特許数、具体的な特許内容まで分かるのですね。逆に捉えれば、ほぼあらゆる分野で特許が網羅されているような時代となった昨今、発展の可能性がある分野を逆リサーチするなど戦略的にも活用度は高いと思われますね。実は、特許がこのように研究者の間でも意識されるようになったのは、比較的最近の話です。以前は、産学協同は絶対やってはいけないという時代でしたから。今日では逆に、特許の取得が推奨されるようになっているようですね。文部科学省などからも特許をどれくらい持っているかという質問が多くなっているそうです。ただ、生物の場合、特許に関しては課題も多いのです。細胞は生き物なので増殖するでしょう。細胞を1個作れば、それが100個にも1000個にも増殖します。ですから細胞というより、形質転換した細胞による製品の最終製造量というような規制があればいいのでしょうが…。特許料は、始めは安いですが、形質転換生物による事業化が前提となってだんだん高額になっていきますから、果たして特許料を払ってまで維持し続けられるビジネスの仕組みが作れるかどうかが今後の問題ではないかと思われます。大学などでも特許という財産は増えても、それを企業化して、特許料に見合う収入が確保されないと時間とともに持ち出しが増えてきます。それから、日本人は遺伝子組み換えした食物などへの忌避意識があることから技術が止まってしまいがちです。外国では遺伝子組み換えの大豆など当たり前のように売られていますが、日本では買う人がいないので作らないうえ、輸入する場合でも、遺伝子操作していない高価な大豆を買っているようです。私共が大洋漁業(現、マルハ株式会社)と一緒に行ったマグロの成長ホルモンの遺伝子のクローニングの場合も、それからできた成長ホルモンを使った養殖実験を奄美大島で行いその効果を確かめましたが、企業としては、それ以上の発展は決断できなかったようです。私共研究者としては、マグロの成長ホルモンの遺伝子(塩基配列)が人間のものと46%同じであること、たんぱく質としては32%同じである事などを明らかにすることができました。ですから、これは学問的には面白かったが、企業的にはうまくいかなかった例です。
学問的に価値があり、しかも特許的にも成功する研究というものは非常に難しいのですが、研究者の人事等の評価対象として特許数が求められるという今の時代は、どんな研究の種を見つけるか、ということが非常に重要です。産学協同を密にして、大学発の両面成果を挙げて欲しいと思います。
過去の成功例では、企業からのものが多いのですが、例えば、ステロイドの酸化発酵(結晶発酵)があります。酸化発酵と言えば、普通は液体中で反応が進行しますが、ステロイドは水に溶けませんので粉末のままの原料を微生物の培養液に投入して、酸化された反応物の結晶を顕微鏡で観察・追跡するという非常におもしろい発酵です。この研究によって、それまで大きな発酵タンクで、薄い濃度の反応液でやっていたステロイドの生産がフラスコの中で、高濃度でできるようになったのですから、それは多大な経費節減になりました。もう一つ、アミノ酸発酵も有名な例ですね。それまで、小麦澱粉を加水分解して作っていた、昆布の味(グルタミン酸ソーダ)を始めとするいろいろなアミノ酸を微生物の反応液中で作ることに成功しました。これは日本の微生物研究が世界に誇る成果で、研究的にも価値があり、食品工業(化学調味料)界に与えた影響は計り知れません。

—まさに、学術的に面白いだけでなく、ビジネスとして成り立つような研究が求められているということですね。そうなると研究のシーズの探し方も変わっているかと思いますが、特許データをみてからテーマを定めていくようなやり方も考えられますか?

木村氏…その昔、フランスの生化学者のパスツールは仕事を始める前に特許を徹底的に調べたといわれます。当時は、特許も少なかったので調べるのも容易だったとは思いますが、自分が目をつける事は他人も(?)という観点を持ち、リサーチを怠らない姿勢は、今の人たちには特に必要かもしれません。真珠のミキモトがいい例ですが、ある日突然、ミキモトが特許を出したおかげで、周辺で真珠を扱っていた店は全て潰れてしまったといわれます。また、海岸線にあるテトラポットを開発していた会社が、特許出願が1日遅れただけで莫大な利益を失ったといわれます。今後は、そういう視点を研究者も備えるべきだと思います。

甲斐真佐美

—若手研究者へのアドバイスをお願いします。

木村氏…定年のとき、当時の考えをまとめて本を書きました。『楽しい研究生活の指針』(共立出版)と『生命と環境のゆくえ』(化学同人)です。このインタヴューを前に久し振りで、読み直してみましたが、当時の考えが割合そのまま表現されているように思います。ただ、10年経ちましたので、今の若い研究者が知らない名前や事柄が出てくるかもしれませんが、言わんとする内容は容易にご理解いただけると思います。特に、研究以外の事で、外国人の考え方にびっくりした事なども書いております。
最近の若い人々は海外に留学する意欲がなくなっているといわれますが、やはりできるだけ若いうちに海外に出て、視野を広め、自分自身の判断力を高める必要があります。
実は、私は、1984年から国際ジャーナル(J. Appl. Microbiol. Biotechnol.)の編集局をしております。はじめは、日本からの投稿が殆どだったのですが、最近では、中国、韓国、台湾、インドなどアジア諸国からの投稿が増えてきました。是非とも日本の若い研究者に頑張って欲しいと期待しています。
私自身は、幸運の回り合わせで、企業、海外、大学での研究生活を送る機会を得たわけですが、大層な表現をすれば、一人で三つの人生を経験することが出来ました。

大学卒業後、もっと広い社会に出てみたいという思いから民間の企業に就職しました。会社の研究所は東大を始め全国の大学から優秀な人材が集まりしのぎを削っていますから非常に鍛えられます。同じ微生物学でも医学的な考え方、理学、工学、薬学といろいろな分野の人々の思考方式が違います。口の悪い人は自虐的に、「ここは気違い部落だ」と言っていましたが、それらの人々の考え方や実験の方法論を知ることができたことは、後から考えると得がたい体験だったと思います。例えば、定量的という言葉を使って議論していても、化学反応式に基づく化学者の考えと、菌株の改良によって、幾らでも抗生物質の生産量が上昇する生物学者の考えとは異なることが分かりました。

丁度その頃、日本での抗生物質生産が始まった時期で、50トンもある大型発酵タンクが外国から導入されました。これぐらいのスケールになりますと、微生物を培養する培地代だけでも、当時の金額で、100万円ぐらいになりました。我々新入社員の給料が1万5千円ぐらいでしたから、一度、雑菌汚染を起こすと、大変な損害です。そのためには、研究室の実験結果を大型のタンクにつなぐ為の予備的な中間型のパイロットプラントの検討も必要です。私も研究所から助人としてそれに参加しましたが、なかなか巧くいかず、とうとう会社が痺れを切らせて、外国の技術者を呼んで来ました。私は、この時初めて外国の技術者と一緒に仕事をする機会を得ました。そしてアメリカ的合理精神に感心しました。例えば、発酵液が雑菌汚染をしているかどうかを顕微鏡で調べるわけですが、当時は、5万円ぐらいの単眼顕微鏡が一般的でした。双眼顕微鏡は出始めた頃で、一台30万円ぐらいしました。彼は直ぐに双眼顕微鏡を買うように要求しました。高価な物なので、それを聞いた我々も聞き流しておりましたが、彼が言うには、「汚染が起これば、100万円の損害になるのだから、30万円は安いではないか」というものでした。勿論、翌日に双眼顕微鏡が入りました。

大学に戻ったのは、1969年で、丁度大学紛争の真っ只中でした。四月に国家公務員になり、六月から大学封鎖が始まりました。会社を去るときは「あんな所によく行きますね」と言われ、大学では「こんな所によく来ましたな」と言われました。しかし私は、いくら大学紛争が起こっても、高等教育が無くなる事はないと確信していましたし、封鎖前に移ったことは良かったと思っています。当時の学生や院生ともよく議論しました。彼らは、「全員の賛成がなければ、やってはいけない」とか、「院生の学費は全部大学が負担すべきだ」などといってきましたが、「全員の不賛成がなければ、止めてはいけない」とか、「君らがパスツールならいうことが分かるが、君らはどうかね」などと反論して、結構面白かった。私の考え方は、他の大学人とは違っていたらしく、学生連中も面食らったようでした。助教授になった後も、教室主任の大先生から、「君はいつも一寸違うことを言うから」ということで、よく意見を聞かれました。当時の大学には、まだ古い制度こそ残っていましたが、企業では得られない教育観を身に着けることが出来たと思っています。

海外に行ったのは、公務員として大学で3年間のご奉公をしてからでした。東海岸に行きたかったので、ワシントンDCにあるNIH(National Institute of Health)を選びました。ここは世界的な研究の元締めで、病院も含めて、ビルの数が、40位はありました。兎に角、物凄いスケールで、培地や実験器具なども前日に頼んでおけば、毎朝、黒人の男性が届けてくれました。遠心機のローターなども、日本では研究室に1個とか2個というような具合でしたが、NIHではその数が違いました。また、殆ど毎日の如く、高名な研究者が世界中から来て講演をしていきました。毎週、黄色い紙のお知らせ(講演の日時と場所、演題)が配布されるので、英語の勉強をかねてよく聞きに行ったものです。遺伝子の暗号コードを解明したニーレンバーグの研究室があり、彼の講演も印象的でした。丁度、アンフィンゼンがノーベル賞をもらったときで記念講演が行われたり、研究者ではないですが、エドワード・ケネディ上院議員がボディーガードもつけずに目の前を歩いていったこともありました。私は、アメリカ社会で人々はどんな考え方をしているのか、どんな行動をするのかを知るために、いろいろな事を試みて反応を見ました。そこで、様々な事に気付きました。

年を取ると実感するのですが、人には人生の各相があり、その時その時しかできないことがあります。昔の学生歌に「しもたと思たらもう遅い」(関西弁)というのがありましたが、そういうことにならないよう、人生の一刻一刻を「よく学び、よく遊ぶ」(英語で言えば、Hard worker plays hard でしょうか)様にして頂きたいと考えています。

—ありがとうございました。今後も、様々な分野で先生の研究が活かされていくことと思います。日本の研究界の指導者として、ますますのご活躍をお祈りしております。

木村氏…実は、毎年、私の誕生日である6月18日になると京都大学の図書館にお願いして被引用数を調べてもらっていたのですが、今後はResearcherID があるので好きな時に見ることが出来るようになり有り難いと思っています。生きている間に幾つまでいくのか? 幾つまで生きられるのか? 想像もつきませんが、(意味は一寸違いますが、)ハムレットの心境ですね。私共の研究が次世代に向けた技術革新や医療進化へ繋がることを我が人生の楽しみに、これからも見守っていきたいものです。

ResearcherIDで見る木村光氏の論文

ResearcherIDで見る木村氏の高被引用論文(Accessed 2011/9/6)


(2011年11月掲載)


木村 光(きむら・あきら)氏

プロフィール
1936年(昭和11年) 6月18日生(京都市出身)
1959年 (昭和34年) 京都大学農学部農化(発酵化学専攻)卒業
        同年 塩野義製薬研究所入所
1969年 (昭和44年) 京都大学農学部食品工学科講師
1970年 (昭和45年) (授)京都大学農学博士
        同年 京都大学農学部食品工学科助教授
1977年 (昭和52年) 京都大学食糧科学研究所教授
1982年 (昭和57年) 国際応用微生物遺伝学会(GIM)事務局長
1984年 (昭和59年) J. Appl. Microbiol. Biotechnol. 国際編集局主宰(~ 現在)
1995年 (平成07年) NHK教育テレビ(人間大学講師)
        同年 アメリカ微生物科学アカデミー特別会員
1999年 (平成11年) 日本農芸化学会副会長
        同年5月 アメリカ微生物学会刊行誌〔10種類〕の論文中で20世紀 中(100年間)の被引用回数(3,462)が歴代2位となる(ASM News, Vol.6.No.276-281, 1999)。
2000年 (平成12年) 京都大学名誉教授
グリーンバイオ代表取締役に就任
2007年 (平成19年) (財)協和発酵キリン財団(加藤記念バイオサイエンス研究 振興財団)理事
2010年(平成22年) (財)生産科学研究所学術顧問
(財)醗酵研究所(武田薬品)理事
2011年(平成23年)
        同年9月
酵母の形質転換に関する論文の被引用回数が、6,501回となり、現在も毎年100回ほど増え続けている。
現在に至る         
章・賞
1976年(昭和51年) 日本農芸化学賞(奨励賞)受賞
1997年(平成09年) 日本農芸化学会賞受賞
1998年(平成10年) 日本生物工学会賞受賞
1999年(平成11年) アメリカ工業微生物学会チャールス・トム賞受賞
        同年 紫綬褒章受章
2011年(平成23年) 瑞宝中綬章受章(叙勲)
著書
「地球環境問題」「世界の国々を見て」(朝日ラジオ放送記録:ちょっといい話, 2007)
「酵母の形質転換」(実験化学講座29巻P.165-177:丸善, 2006)
「自然科学から見たいのち」(社会奉仕公開シンポジュウム:いのち尊し, 2002)
生命と環境のゆくえ―遺伝子から見える地球の未来(化学同人, 2000)
ゲノム微生物学(教科書、編著、スプリンガ一社, 1999)
バイオテクノロジーの拓く世界(NHKライブラリー, 1996)[本書は内容に感激した金武祚氏らによって韓国語に翻訳された。2000年]
バイオテクノロジーへの招待(NHKテレビ人間大学用テキスト, 1995)
化学便覧(バイオテクノロジーの章)(丸善, 1995)
遺伝子操作(共立出版, 1990)
入門バイオテクノロジー(監訳)(培風館, 1990)
応用化学講座,第12巻(遺伝子工学)(朝食書店, 1990)
食料科学バイオテクノロジー(培風館, 1989)
食品微生物学(培風館,1980、改訂, 1988)
食糧と化学(化学総説)(化学会編, 1984)
「世界の食と文化」エッセイの1つ(インド編)が、1995年度ベストエッセイ集〔文芸春秋社,文春文庫,1998〕に選ばれた。
エッセイ「悠久」(俳文,ネパール編)が、「わが心の春夏秋冬」〔第Ⅲ編〕(潮文社, 1998)に選ばれた。
趣味
ゴルフ、旅行(世界)、囲碁、謡曲、書と俳句の鑑賞